昔の恵庭人のくらし

カリンバ遺跡漆塗櫛
恵庭市郷土資料館蔵
100年くらい前の恵庭に住んでいる人はどんなくらしをしていたのでしょう? 恵庭市郷土資料館の展示物から昔の人のくらしを探ってみました。
みの
蓑
蓑・郷土資料館蔵

蓑は、古い時代から雨具であり、雨の降るときに着用されてきました。農家は、雨が降っても、田植えや草取りなどの農作業を休むことができないので、蓑は必需品でした。

資料館が収蔵している蓑は、昭和10年代に使われていたもので、稲わらを原材料にしています。蓑は、スゲなどの草を使って作ることがありますが、主流は稲わらです。稲わらは、はっ水性のある繊維でできているので、雨にぬれても、雨はしみこまず、その繊維にそって下へ流れるので、雨具に応用されたのです。先人の知恵といえます。

また資料館の蓑を見てもらうとわかりますが、蓑はある程度の厚みをもっています。稲わらを重層に編んでいるためです。加えて、シナの木の皮を編みこんでいるのが特徴です。わが国には、稲わら細工の技巧がいろいろなところで使われていますが、蓑はその粋をきわめているといえます。

箱膳
箱膳
箱膳・郷土資料館蔵

資料館の常設展示室は、囲炉裏部屋を再現したコーナーがあります。そこに1尺(33cm)四方、高さ5寸(15cm)ほどの箱膳がおかれています。

昭和の初期まで、農家の家庭では、この箱膳を使って食事をするところが多くみられました。というより、囲炉裏を切った部屋は、テーブルがおけないので、食事は箱膳を使ってしていたのです。

箱膳には、飯茶碗、汁椀、そして小皿と箸がはいります。ふたを裏返すとお膳になり、そこに食器を並べます。箱膳は、2膳、3膳と積み重ねることもできるので、収納もスペースをとりません。

箱膳は、最近エコ・ライフの視点で見直されています。箱膳で食事を終えると、茶碗にお茶か白湯をすすぎ、漬物できれいに洗い落とし、最後にその湯を飲みます。その後は、食器を布でふいて、箱膳にもどします。その食事スタイルには、水を大切にした、むだのない、機能的な日本文化が凝縮されています。

郷土資料館へ足を運ばれたときは、箱膳から、当時の家族の食事を想像してみてください。

俵編み機
箱膳
俵編み機・郷土資料館蔵

資料館は、恵庭の農業生産に関わった用具を多く収蔵しています。水田耕作用の農機具が主流ですが、俵編み機は、米を収穫した後にその力を発揮しました。

精米された米は、かつて米俵で流通していましたが、昭和30年頃にカマスが開発されて、米俵は姿をけしました。しかし、それまで、農家は、米俵を手づくりして使っていたのです。正月から2月は、農閑期です。その時期、農家は、米づくりの準備をしますが、俵編み機を使った米俵づくりもそのひとつでした。

資料館にある俵編み機は、昭和初期のものです。これは、浅い溝を切った横木を両脚で支え、溝に細なわを槌の子で巻きかけ、編んでいくものです。高さ49センチ、横幅113センチ、奥行35センチ。非常にシンプルで、手づくりされたものです。

米俵づくりは、たいへん根気のいる仕事です。しっかり編まないと、ほつれて長持ちもしません。農家の方は、手馴れた作業で、この器具でりっぱな米俵をつくりあげました。

たこあしすいとうちょくはん
たこ足水稲直播器
たこ足水稲直播器・郷土資料館蔵

資料館では、たこ足水稲直播器を展示しています。この直播器は、ブリキの箱からたこの足のように長くのびた8本の管が特徴で、通称「たこ足」と呼ばれています。明治後半から昭和初期にかけて、多くの水稲農家の方は、水のはった苗代で、この直播器の管から種もみを直接表面に送り、効率よく播いて田植えをしていました。

当時田植えは、現在のような苗を移植するのではなく、直播が主流でした。その普及を支えたのが、この「たこ足」です。農家にとっては、この水稲直播器が欠かせない農機具でした。

しかし、水稲の直播には、多くの課題がともないました。広い水田の雑草取り。加えて、「坊主」と呼ばれる品種しか使えなかったことなどです。恵庭でも昭和十年代以降になると、保護苗代が広がり、田植えは移植ですることが主流となって水稲の直播は衰退し、「たこ足」も同時に姿を消していったのです。

千歯せんばこき
千歯こき
千歯こき・郷土資料館蔵

資料館には、多くの農機具を展示していますが、「千歯こき」は注目していただきたいひとつです。

千歯こきの特徴は、木枠上部から水平につきだした鉄製櫛状の歯。しかし、この農機具、何を目的にどんなふうに使う道具なのか。実は、稲の穂からモミを落とす脱穀専用の農機具なのです。

乾燥させた稲の束を、歯のところに差し込み、モミをいっきにこき落として使います。一見単純な作業に見えますが、この脱穀手法は、江戸元禄期に発明され、以後大正末期までわが国農業の重要な役割を果たしてきたものです。この千歯こきは、当時脱穀という作業を飛躍的に拡充しました。千がつく名は、一日千把も脱穀できるから、ということに由来しています。

資料館にある千歯こきは、歯は鉄製、隙間が10ミリから14ミリ、その数は23本あります。昭和初期に使われていたものです。当時すでに別の新しいタイプの脱穀機がでまわり始めていましたが、依然貴重な農機具でした。