カリンバ遺跡
カリンバとは、アイヌ語で「桜の木の皮」という意味。以前は遺跡の近くを、遺跡名のもとになったカリンバ川という小川が流れていました。
カリンバ遺跡は、この川が流れる低地面と、それより2~3mほど高い段丘面に残された縄文時代から近世アイヌ文化期の遺跡です。とくに、縄文時代後期末から晩期初め(今から約3,000年前)の頃の漆製品を多数納めた合葬墓は全国的にも珍しいことから、平成17年に段丘面と低地面をあわせ、約4.2ヘクタールが国の史跡に指定されています。
低地面は生活の場所
低地面の森の中には、段丘面の墓地と同時期に造られた貯蔵穴、建物跡、炉跡が残され、鉢形土器、石器、赤色漆塗りの櫛・腕輪、かんらん岩や土製の小玉、サメ歯などが出土しています。また、赤色鉱物の粉や、赤い顔料が付着した長さ60cmほどの板状の石皿などはカリンバ遺跡を解き明かす重要な遺物です。カリンバの森は、縄文時代のタイムカプセルといえます。
自然豊かなカリンバの森
低地面は縄文時代が終わると厚い粘土層に覆われていきました。現在では、ハンノキ・ヤチダモなどの落葉広葉樹の森になっていて、早春にはミズバショウの群落もみられます。
段丘面に残された竪穴住居跡・墓跡
段丘面には、縄文時代から近世に至る各時代の竪穴住居跡 、土坑墓、建物跡、炉跡、アイヌ文化期の平地住居跡や壕状遺構など多数の遺構が残されています。
縄文時代後期から晩期の土杭墓群
発掘調査を行った「団地中央道」用地内から土坑墓が多数みつかりました。また、その周辺で実施した調査でも広範囲に土坑墓や住居跡が残っていることが判明し、とくに縄文時代後期~晩期の遺構は東西約80km、南北70mの範囲に集中していると考えられます。そこには、漆塗の装身具を副葬した土坑墓も多数含まれていると推定されています。
漆製品を多数納めた合葬墓
合葬墓 (30号・118号・119号・123号)の4基は、直径1.6~2.5m、深さ1mほどの円形ないし楕円形に掘られた大形の土坑墓です。わずかに残った人の歯と装身具の出土位置から、複数の人が埋葬されたと推定されています。
重要文化財
合葬墓 3基から出土した副葬品は一括して国の重要文化財に指定されています。内訳は、漆製品と玉、サメの歯、土器です。漆塗の櫛や腕輪などの装飾品は縄文時代の漆技術を伝える貴重な資料です。
墓と副葬品
数人を埋葬した墓
遺体は頭を西に置き、手足を折り曲げて埋葬されていたと考えられます。歯や装身具の見つかった場所から、30号土坑墓で8人以上、118号土坑墓で4人、119号土坑墓で2人、123号土坑墓では5人が埋葬されていた推定されます。
多くの装身具を身につけて埋葬された
出土した漆製品の数は、120点を超えます。ほとんどは墓の底に納めた副葬品で、全体の8割は4基の合葬墓から見つかりました。種類は、櫛、髪飾り輪、額飾り輪、耳飾り輪、髪飾り紐(リボン)、胸飾り、腕輪、腰飾り帯など、実に多様です。
合葬墓には、一人に多くの装身具がそえられていました。腰飾り帯は、119号と123号土坑墓から各1点出土し、118号土坑墓からも漆を塗ったものではありませんが、サメの歯をたくさんつけたと推測される帯があります。腰飾り帯をまとった被葬者は特別な人物だったのでしょうか。
装身具 北国の大地がはぐくんだ縄文の美とこころ
頭の装身具
漆塗りの櫛、髪飾り、額飾り、かんざし、耳飾りなどが出土しています。櫛は全て赤色漆塗りです。表面は朱や赤桃色に塗られています。カリンバ遺跡の櫛にはバラエティに富んだ美しい透かし模様が見られます。
勾玉・玉
玉の素材は、かんらん岩、琥珀、滑石、翡翠、土。種類は、勾玉、臼玉、丸玉、棗玉など。連珠で見つかったものが多く、連珠のなかには勾玉を1点から数点連ねて使用する例もあります。首飾りとして使用するほか、ブレスレット、アンクレット、さらには頭部に着装してヘアーバンド風に使用する場合があったのかもしれません。
植物・獣皮素材のいろいろな腕輪
カリンバ遺跡の腕輪は、植物の皮か茎を丸く輪にし、その上に撚糸を巻きつけたものや、草・樹皮を巻いたもの、獣皮を素材にしたもの、大きな輪、二重の輪などがあります。輪の表面に突起、ブリッジなどをつけて飾ったり、スリット模様をつけたものまで多種多様です。
123号土坑墓に埋葬された人の頭から首の装身具
髪に櫛を3個を挿して飾り、額には4個の漆の輪とサメの歯1個の額飾りをつけていると想像されます。漆の輪は、布製の紐かハチマキ状のものに糸で縫いつけて使用したものでしょう。このほか、オレンジ色の耳飾り輪とかんらん岩の勾玉、琥珀玉の首飾りもつけていたようです。
腰飾り帯
123号土坑墓の中央の被葬者に着装されたと考えられる腰飾り帯と腕輪、勾玉・琥珀玉の連珠。帯は、植物の細い茎を数本束ねたもので、遺体の胴部に巻いていたと推定されます。
遺跡年表
縄文時代 | |||
BC.7000 | 人が住み始め、墓がつくられる カリンバ2遺跡に集落 函館市垣ノ島B遺跡 | 縄文時代早期 | 北海道の時代 |
BC.4000 | ユカンボシE8遺跡に土坑墓群 | ||
西島松2遺跡から漆製品 千歳市美々貝塚 | 縄文時代前期 | ||
BC.3000 | 柏木B遺跡に集落 伊達市北黄金貝塚 | ||
集落、竪穴住居がつくられる 南島松3遺跡ほか各地に集落 函館市大船遺跡 | 縄文時代中期 | ||
BC.2000 | カリンバ1・2遺跡に大型住居 | ||
集落、段丘面に墓域 ユカンボシE3・E8遺跡に集落と墓 森町鷲ノ木遺跡 | 縄文時代後期 | ||
柏木川4遺跡から布製品 小樽市忍路土場遺跡 | |||
低地面に生活遺構 柏木B遺跡に周堤墓 千歳市美々4遺跡 | |||
BC.1000 | 漆製品を副葬した土坑墓群 西島松5遺跡に墓と漆製品 千歳市キウス周堤墓群 | ||
集落、竪穴住居と土坑墓群 柏木川4遺跡から手形・足形土製品 千歳市ママチ遺跡 | 晩期 | ||
弥生時代 | 続縄文時代 | ||
BC.300 | |||
集落、西側に墓地 柏木B遺跡に墓地 伊達市有珠モシリ遺跡 | |||
AD.400 | 茂漁6遺跡に墓地 余市町フゴッペ洞窟 | オホーツク文化期 | |
古墳時代 | |||
網走市モヨロ貝塚 | |||
AD.600 | |||
飛鳥~平安 | 擦文時代 | ||
集落、段丘縁に竪穴住居 西島松5遺跡に墓と鉄製品 江別市江別古墳群 | |||
AD.1200 | 柏木東遺跡に北海道式古墳 | ||
鎌倉~江戸 | アイヌ文化期 | ||
集落、平地住居と墓 カリンバ1~4遺跡にアイヌコタン 平取町ユオイチャシ跡 | |||
AD.1900 |